島や山や廃墟に行きたい。しかし、外は暑すぎる。おまけに何かと忙しくて時間が無い。仮にあったとしても疲れが溜まっているので休みたい。また、メジャーな所すぎると土日は人が多いので避けたい。
そんなこんなで探訪や散策をどんどんと引き伸ばして早7月の終盤。旧暦で一番忘れられているであろう文月がもう26日を迎えていた。
これではいかん……と思っていたわけではないが、何処かに行けていないストレス(チックなもの)はあったようで、前日の朝っぱらからずっと「明日は午後から開くので何処かしらに行こう」と考えていた。
目的地に関しては割とその時その時の気分次第のライブ感で決めている節があるため、その日も「何処かに行く」ということだけ決めて床に就いた。
そして目覚めると雨天だった。
なんか窓が五月蝿いと。雨音だった。よりにもよって今日。なんで?
すぐにスマホを取り天気を確認する。
午後からは雨が止むと言っている。
地獄に仏とはこのことか。
そして、午前の用事を終わらせ、電車に乗ったタイミングで「そうだ、晴海橋梁行こう」と突然思い付いたので向かった。
現地で晴海橋梁を調べるうちに、越中島貨物駅からこの橋まで伸びていたとされる線路の跡地も残っているということが発覚したため、そちらにも急遽向かった。
その前に……
晴海橋梁につくまでは越中島貨物駅の廃線を知らなかったため、私は豊洲駅で下車した。
すると、面白い光景が。
ほとんど使われていなかった2番線ホームと3番線ホームは埋められて、豊洲駅は1つの巨大な島式ホームのようになっていた。東京五輪等で人でごった返す可能性があったことを危惧してこうしたとか。元々朝夕は人が多いが。
尤も東京メトロ曰く「一時的な措置」らしく、有楽町線が住吉まで延伸されれば此処も線路に戻るのだろう。
参考:https://trafficnews.jp/post/109439
晴海橋梁へ
晴海橋梁(晴海鉄道橋)は、越中島貨物駅から豊洲石炭ふ頭を結んでいた貨物船『東京都港湾局専用線・深川線』から分岐した『晴海線』が使用していた橋梁。1957年に開業し、貨物輸送がトラックへと移り変わったことを皮切りに1989年に廃線となった。予め横から圧縮したコンクリートを使っているため、丈夫だったとか。
2021年からは遊歩道化計画が決まり工事が進んでいる。
〈参考〉
Wikipedia:
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%99%B4%E6%B5%B7%E6%A9%8B%E6%A2%81
とよすと:
https://toyosu.tokyo/news/harumitetsudokyo-sidewalk/
晴海線廃線跡
越中島貨物駅方面へと歩く。
住宅地の中に突然都有地が現れるので驚く。
晴海橋梁に関する公式様の写真:
https://twitter.com/harumichiku/status/1440920395188633603?t=pRaspVFSDDQQMy94iWOikg&s=19
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